今月の人
2007.6UPDATE

今の自分を超えられるまでしぶとく、しぶとく!






加藤 マリ 選手 (21歳)
法政大学体育会スキー部3年
プロフィール
1986年5月11日生まれ B型
秋田県仙北市生保内出身
身長:161センチ  足のサイズ:24.5センチ
視力:両目とも1.8程度
趣味:読書 特にアフリカに関する本 
好きな芸能人:松平健
良く聴く音楽:コブクロ 松山千春 
好きな食べ物:納豆、果物全般
キライな食べ物:マヨネーズ
好きなスキー場:田沢湖スキー場 
ターマス・デ・チジャンスキー場(チリ)
憧れの選手:ベンジャミンライヒ
得意種目:GS

<出身校> 生保内中学校から県立角館高校 スキー部
現在、法政大学社会学部 に在籍中

<主な戦歴>
中学校2年生で全国中学校初出場 中学校3年 全中SL5位 GS9位 
インターハイ 25位
05-06シーズン インカレGSL優勝 全日本選手権GS7位、SL10位 群馬国体10位
06-07シーズン 秋田国体3位 ジャパンシリーズSG 3位 全日本GS8位、SL7位

<使用マテリアル>
SKI:OGASAKA  
BOOTS:NORDICA  
WEAR:GOLDIWIN 

<加藤マリ選手が行っている活動>  

WORLD VISION JAPAN(ワールドビジョンジャパン)

途上国の子供達に援助を行う国際NGO活動。
貧困の中にあって、十分な教育を受けられない、時には生命の危機
にさえ直面している多くの子供達が世界には存在します。
そんな子供達に対して、個人がパートナーシップを結び、
小さな援助の積み重ねを行って行くプランです。
加藤マリ選手は、大学入学時から自分のアルバイトのお給料の一部を毎月、
スーダン共和国のある少女のチャイルドスポンサーとして援助しています。

資料請求はコチラ 特定非営利活動法人 ワールドビジョンジャパン
            

 「君のハートよ位置につけ」をキャッチフーズに行われた、昨年度冬季秋田国体は、県外からのナショナルチームクラスの大型選手の補強と県内選手の長期的な強化を積極的に行った秋田県が、天皇杯奪取という完璧な形での優勝を飾った。
 秋田県は、国体開催が決定する以前から続けられていた県内強化選手の海外遠征を、更にこの秋田わかすぎ国体に向け長期強化計画として始めた。今から5年前になる。
 一貫した技術指導方針の下、強化に指定された選手のみならず、全ての秋田県の選手達と指導者にその技術と指導法がフィードバックされる形をこの強化の期間内に行ってきた。その組織力は、今後も「秋田県から育った選手」を生み出していく可能性を多く含んでいる。
 加藤マリ選手は初めから最後まで、この国体のための強化指定に選ばれ、全ての海外遠征に参加してきた。
 まさに、「地元秋田に生まれ、秋田県によって育ってきた選手」である。
 その背景も、地元の声援も国体が近づくほど全てが重圧へと変わる。しかし、最後はそれが彼女の背中を押す大きな力となった。
 誰よりもあの国体バーンの田沢湖に親しみ、滑ってきた「生粋の秋田のスキー選手」として育った証である。
 大学入学を直前に控えた春のジャパン選抜キャンプ。初めて見た「上の、上の世界」。彼女の選手としての目覚めはそこから始まったばかりかもしれない。「やっぱり私はオリンピックに出たい!」
 国体の時に背中を後押ししたのは「秋田」。それが「日の丸になった時の気分はどうかな?」「気持ちいいでしょうね」。そう話す21歳。バンクーバーをそしてジャパンを狙う女子レーサのご紹介です。



国体お疲れ様でした。地元国体を終えてどうでしたか?
疲れました(笑)。やっと終わったと言うのが印象です。

地元開催、しかもマリ選手にとって田沢湖はホームゲレンデですよね?
そうですね、スキーを始めた時から田沢湖で滑ってきましたので。多分誰よりも良く知っているコースです。

秋田県の長期強化が始まった当初からの参加選手ですね。あの頃はまだ高校2年生でしたが、その頃はどんな選手だったのでしょう。
本当は高校ではスキーは続けないつもりだったんですよ。

そうなの?どうして?
私馬が大好きで、高校に進学したら馬術部に入りたかったんです。入学試験の面接の時も「馬術部に入って頑張ります!」と答えていましたから。でも、中学校3年生の時の全中で入賞しちゃったんです(笑) その時に、周りの色んな人から続けたほうが良いって反対されていました。でもそんなに裕福ではないし、スキーはお金がかかるので続けるつもりもなかった。ただ、小さい時からお世話になっている日高英樹コーチが色んな意味で応援してやるから頑張れ!って説得してくれたんです。 あの時がなかったら、今頃馬に乗っていたはずです(笑)

そうだったのですか。大好きだと話している松平健さんの「暴れん坊将軍」の影響ですか?
そうですね。あの始まりのシーンが大好きです。今も馬は好きなので牧場で働きたいとも思っていますよ。笑

中学校の頃というのは、実際本人が思っているほど選手としての何かを決定するものではなく、その時に続けていくモチベーションをどうその選手自身が持てるのか、またその時期の指導者との出会いなどが左右をするものだと思いますが。
そうですね。中学校1年生の頃は全中には出られなかったですし、その頃秋田ではもっと速い選手がいましたから。山口さやか・まどか姉妹です。私は、2年生で始めて全中に出場して、秋田予選は5番通過だったから100番台のスタートでした。そこで25位くらいですかね。

1年生の時全中に出場できなかった事は悔しかった?
はい。悔しかったです。2年生の時も悔しさはあったけど、結局5番通過だった。だから中3では「ぶっちぎりで全中突破!!」「勝ってスキーを辞めよう!」と決めてトレーニングを始めたんです。

どんなトレーニング?
とりあえず毎日10キロは走っていました。それから体幹系のトレーニング。自分でこれでもかっていうぐらい(笑)今考えれば、根性系トレーニングですがやっていましたよ。それからインラインとか。

自分ひとりで?
はい。家の周りとか。

それまで秋田の予選は5番通過だったと言う事ですが、ここまで伸びてきた過程においては、そのライバルと滑りの差を埋められたな、と感じた瞬間があったと思いますが。
そうですね、その年の全中前合宿で、「この感覚かな?もしかしたら速いかも知れない!」というものをつかんだんです。それまでは、自分はバタバタした滑りで、まどかちゃんのは「ちゃんとしたアルペンスキー」になっていると言う感じでした(笑)。今までは明らかに差があったけど、勝てそうな兆しをそこで感じたんです。
中3の時の夏は、それまでバスケットをやったりと色んなスポーツをしていたのを、この年はスキーのトレーニングだけに切り替えていたので、「これだけ自分は頑張ってやった!」という自信を持って冬に望む事ができていたと思います。


そのシーズンはどうでしたか?
結果は全中大会でSL5位、GS9位。思いがけず両方入賞してしまいました。勿論優勝するつもりで練習していたんですけれど(笑)

そして角館高校「馬術部」ではなく、「藤木剛先生率いるスキー部へ」ということですね。
はい。当時は佐々木和春先生でしたが、2年生から今の藤木先生になりました。
面接で馬術部に入りたいと熱弁を振るってしまっていたので、入学式の日に馬術部の先生のところへ挨拶に行って「やっぱりスキーが好きなので、スキーを続けたいので、馬術部には入れません」と言ったんです。そしたら、入賞したことを先生が知っていらしたので「やっぱりそうだよね」と言われました。(笑)


じゃあ、日高コーチに説得されていなかったら、「加藤マリ」という秋田県強化選手は今頃馬に乗っていたわけだね(笑)。 角館高校スキー部へ進学してからはどうでしたか?
当時、スキー部は10人ぐらいで女子は私一人でした。だから練習も全部男女一緒。練習は辛かったです。特に田沢湖の合宿所生活は大変でした。朝4時には起きて朝ごはんを作って掃除をして、急いで寮を出ないと授業に間に合わない。

田沢湖から角館まではどうやって?
自転車です。

結構遠いよね?1年生の頃は慣れるのに精一杯だったかな?
そうですね、夜もなんだかんだ言って先輩のマッサージとかあったし、寝るのは夜12時ぐらい。もう授業中に睡眠をとらないと練習もできませんから(笑)。
1年生の時のシーズン終わった頃には、インターハイでも25番ぐらいで正直難しいなーとモチベーションも下がっていた部分はありました。ただ「やる」と決めたからには頑張らなくちゃ!という感じです。


秋田国体開催が決まったのは丁度その頃で、長期強化が始まった時期でしたが。
そうですね、1年生の時もカナダへの遠征に行かせてもらっていました。その頃はインターハイで勝てる気がしてませんでしたよ。

2年生になってからは、夏はフランスのドゥザルプ、秋にツェルマットとそれぞれ滑り込む時期があって、シーズンに突入するというスケジュールになって行きましたね。
はい。その夏、秋の遠征に向けてきちんとトレーニングもしていったので体力的な不安はありませんでした。

ゴッチコーチにその年から数年に渡って指導を受ける事になりましたが、初めの印象はどうでしたか?
初めて会ったのは、実は中学校3年生の時の北海道での強化合宿でした。その時のトレーニングの印象が強すぎて、遠征に行く時は何か不安でしたよ。

と言うのは?
その練習のコントレで、「100回筋トレをして」と言われたんですが、その100回を勝手に数セットに分けてこなした人が居残りさせられたんです、私もですが。
「『100回で1セット』と言ったのに、勝手にセット数を決めるな」って意味で怒られて(笑)、もの凄くきつい居残り練習をさせられたんです。


なるほど。それは少し不安になりますね、長い遠征ともなると。そこから4年に渡ってのコーチングを受けた今はどうですか?
まず、「積極的なスキー」を教えてくれたのはゴッチコーチです。それから、自分の癖を直し、自分の弱い部分を乗り越えるまで何度も何度も滑り込んで、自分自身でそれを乗り越える事を教えてくれたのが大きいです。それと厳しさと共に、それまでとは違うスキーの楽しさもたくさん教えてもらいました。

なるほど。「積極的なスキー」とは?
それまで、私のスキーは受身のスキーだったと思うんです。でも「前に出ろ、飛び出せ」と言う風によくゴッチコーチは表現するのですが、その技術的な意味を夏・秋の遠征を経て、冬には理解しながら滑る事が出来ていました。自分の弱気な心とスキーを通して向き合うことができました。
身体を落とすことが分かってきて、流れの中で指導されていたので「自分からスキーをする」という意味でも技術的な進歩ができたと思います。


実際強化1年目の高校2年生の時のシーズンはどうでしたか?
それが、成績に関してはそれほど印象の残ったシーズンではないんです。国体予選で初めて優勝した、それぐらいのイメージしか残ってない。ただ、夏・秋と滑り込んでいたことが自信に繋がった冬であったとは思います。

印象の薄いシーズンを過ごした次の年へのモチベーションと言うのはどんなものでしょうか?
この高校2年生の時点で、実は進学先を決定していました。というのも、選手としてそれまで目立った成績もなかったので、スキーでの進学は早めに決めておかなければ行くところがなくなってしまうからです。スキーで大学に進学できるんだったら、大学に入ってしまおう!って。高校のスキー部への進学の時とは違って、あっさり決まっていました。
だから、最後のインターハイ。優勝したい!高校最後だし。そう思っていたのでモチベーションと言う意味では、それまでになくはっきりとした目標を持った年でもありました。



この年も夏・秋と同じく遠征がありましたね。
はい。遠征は辛いですよ、鬼のゴッチですから(笑)。 一回の遠征のミーティングで一度は泣かされます。自分の癖を直せるようになるまで、何度も何度も滑りましたし、時には板を担いで登って来いといわれることもありますし。
ただ、夏に課題を見つけて、帰国。また秋の遠征に向けて身体を作り、秋の遠征では夏にダメだった部分を改善する滑り込み。それを経て冬にシーズンインするという理想的な形でした。
だから直接滑りに繋げるためのトレーニングを集中して行えるようになったと思います。



意気込んだ3年生のインターハイ。1本目3位、2本目転倒という結果でしたが。
初めて強くはっきりと持った目標に、自分を追い込みすぎてそのプレッシャーに負けた感じでした(笑)。 実際には一番スキーを悟っていたと言うか、勝てる気がしていました。ただ、2本目に行く時に「がむしゃらに攻めよう」と決めての転倒でした。だからすごく楽しかったし悔いはなかったです。ただ、「攻めてゴールをしたい」、と思ったインターハイでした。それが、ある意味大学に入ってからのモチベーションに繋がったと思います。


なるほど。
強化2年目からは滝下樹理選手の秋田県チームへの移籍が決まり、一緒に遠征にいくようになりましたよね。ナショナルチームへの貪欲な執着心を持つ彼女と一緒にトレーニングする事も少なからず、影響はあったと思いますがどうですか?
はい、影響はかなりありました。樹理さんとは面識はそれまでなかったんです。憧れの人という感じでした。

遠征自体も、例えば3年目のイタリア トナーレでは、隣にイタリアナショナルチーム、スイスナショナルチームといった環境でしたね。今まで全中・インターハイと言った国内トップへ向けていたマリさんの目が、海外つまり世界のトップへと向いていくような心境は生まれませんでしたか?
それまで私はナショナルチームを見たことがなかった。でも「上の、上の世界」を見るようになって変わりました。樹理さんのスキーに対する姿勢もそうです。どこかで妥協している自分が居た。でも恥を捨てて「周りの人にどう思われてもいい」って言う、真剣にスキーに向き合っている姿をみて、自分はまだ甘いなと考えるようになりました。
そろそろ限界かな?って思っていたのが「まだまだ真剣に出来る」と思うようになった。


高校でスキーを辞めよう、という気持ちはなくなっていきました?(笑)
はい。スキーに向き合っても居ないのに諦めようとしている。まだ限界じゃないって感じるようになりました。

ある意味「選手として目覚めた」、という事でしょうか? <
そうですね。丁度、高校3年生のシーズンの終わりに北海道の比布で行われたジャパンの選抜合宿がありました。コーチや選手達と一緒に雪上トレーニングや測定をして、色々な面接を受ける機会があったのです。
初めてその時に「なぜ自分はスキーをやっているのか」、「自分はどんな選手としての最終目標を持って行くのか」と言う事を真剣に考えました。今振り返っても、私の人生を大きく変えた面接でした。


真剣に考えた結論はどうでしたか?
やっぱり私は、日本一になってオリンピックに出たいって思いました。

なるほど。
でも実際その目標を自分で意識し始めた時、もっと計画的にシビアにいかなければ、上にはいけないのだと実感しました。

大学1年目はどうでしたか?
まず、最後のインターハイで転倒してゴールできなかったので何としてもゴール。これは思っていました。
しかも、それまでのスキーと違う初めての雰囲気でのインカレでしたので、思い入れも「自分のため」だけでなく、「チームのため」という感覚を持ってのレースだったと思います。


そうですね、個人競技としてのスキーが、大学ごとの団体競技としての表情を持つインカレは独特な雰囲気ですね。
はい。1年生の時、法政大学女子はインカレ2部だったんです。当時4年生だった三星眞奈美さん が4年間ずっと「インカレ一部昇格」を目標に掲げて頑張ってきた方でした。
その想い入れもあって、頑張りたいと思っていました。


実際インカレは勿論、ジャパンシリーズ・全日本なども安定して活躍したシーズンでしたね。遠征も秋田県の夏・秋に加え、シーズン直前に法政大学としても遠征を行っていますがかなり充実していたのではないですか。
そうですね、オフトレも高校の時に足りなかった部分を補った形でやっていましたし、秋のトナーレの合宿では苦手だった急斜面の克服も出来ました。とても調子が良いシーズンだったと思います。

さて、大学1年が終わるといよいよ秋田国体が目前に迫ってきた昨年でしたね。マリ選手は強化に初年度から選抜されていた選手ですので、プレッシャーもかなりのものだったのではないですか?
あーもう国体の年だよ!って感じでした。ボーっとする時間があると常に「国体」が頭に浮かんできてしまうぐらい。

昨年は秋田県としても40日間にもわたるチリでの合宿でしたが、相当きつかったのではないですか?
きつかったですよ、到着してからポールの練習が始まった初日に「とりあえず30本。」って言われたし。10本終わってちょっとテンションが下がって、20本目にいくとまたヤル気が出る。だけど疲れてきて・・・みたいな。ただ本格的なスーパーGの練習を初めて体験しましたし、良かったです。

秋のチリ長期遠征が終わって、すぐにノルウェーでの法政大学の遠征。帰国したらすぐにシーズンインでしたね。
そうですね、国体予選は取り合えず終わってホットしたんですが「もうすぐ国体だ!」と思った瞬間に焦りました。予選の時に「縦の動きはできているけど、横の動きができていない」と指摘されて、滑りを変えようと思いました。

予選から国体までの期間のレースはどうしたのですか?
去年は敢えて、その時期にはどのレースにもエントリーしませんでした。国体の為に田沢湖でずっと練習していました。

もの凄いプレッシャーでしたよね?
はい。町を歩いていても、お風呂に行ってもみんな「頑張ってね!」って言うし凄いプレッシャーでした。秋田県の選手皆、そうだったと思いますよ。この国体の為に何年も強化合宿や遠征にも選ばれてきましたし、すごくお金をかけてもらっていることも分かっていましたから。 国体直前の2.3日前から眠れなかった(笑)。

選手団のピリピリした雰囲気は十分伝わってきていましたよ。実際競技の日が来てどうでしたか?
ゴッチコーチからは直前合宿でも「いいぞ。」とは言われるけど何故かもう一本、と言われているので多分まだなんかあるんだな〜って思いました。 当日、雪がやっこくて、コロコロしたバーン状況だったしセットも細かかった。ただ田沢湖は小さい時からずっと滑ってきていたスキー場だし、嬉しいのも悔しいのも全部してきたスキー場。だから優勝したかった。攻めるしかない、と分かっていましたし。 私の中では「究極の攻めのスキー」でしたよ。優勝はできなかったけど、3位いう結果を出せてよかったです。

スタート台に上がるときは地元ならではの、もの凄い声援もあったと思いますが。
はい、緊張していました。コーチはすぐ後ろにいたし、スタート係りも小・中学生の時のコーチ(笑)。コース整備が入っているのを見ていたら、その中にお姉ちゃんがいたりして(笑)。だけどスタートの時間が近づけば近づくほど、落ち着いてきて良い気分でスタートバーを切ることができました。

あの田沢湖のバーンは、上のコースで勝負が決まると言われていましたが。
はい、スタートからリズムを作っていって、5旗門目あたりから直線的なライン且つ滑らかにスキーをつないでいかなくてはいけない。うねりとかもありますから。

滑り出してからどうでしたか?
実は滑っていて、上のほうではもう危なくて、危なくて。自分ではコースアウトするんじゃないか?っていう場面もあったんです。集中しているけど、そういう{あっ!ヤバイ!}って言う時に周りの声援が何故か聞こえたんです。ラインから外れそうになるけど、なんて言うか、「声援の壁」に守られて次のゲートに自分が滑って行くような、とても不思議な感覚がありました。

それまで重圧だった声援が「応援の壁」になった?
はい。国体っていうものをずっと背負って選手生活をしてきて、もの凄くプレッシャーだったけど、いざレースになったらそれが私の力になりました。

では、そのマリ選手を後押ししてくれたのは「秋田」の声援だったということですね。それが「日の丸」になったらどうでしょうか?
あー、きっと気持がいいでしょうね。

国体が終わった今、ずばり選手としての目標はなんですか?
日本一。日本一になって、バンクーバー日本代表を狙いたいです。

なるほど。昨シーズンの国体後はあまり振るわない成績でしたが、いかがでしたか?
正直言って、国体が終わってから長年のプレッシャーから開放されてどっと疲れが出てしまいました。気持を入れたくても入らない感じで。 ただすぐにインカレがあったから「これからは新しいスキーを目指していかなくては」という気持ちになっていました。インカレの後も一人で大鰐に残って、練習の中で色んなことを試してみていました。 ただ、どれも速くなかった。ジャパンシリーズでも色々実験してみたんですけどね。今年は夏のトレーニングもガラっと変えて、もっと上を目指していこうと思っています。

今目標にしている選手はいますか?
花岡萌さん。それと滝下樹理さん。

加藤マリ選手はいつまで選手をしていきたいですか?
バンクーバーまでは現役をやりたい。 最終目標としては「一生現役」ですけどね(笑)。

では、有名な一流選手になったらやってみたいことってなんですか?
テレビのインタビューに出て「私も募金をしているので皆さんもやりましょう」って言いたいです。 あとは、加藤マリのチャリティースキー大会を主催したいと思っています。参加費をアフリカの子供達に募金するとか、そういうのです。いつかはアフリカに関する仕事をしたいと思っているんです。

なるほど。チャリティー大会いいですね!
では最後に好きな言葉を教えてください。
『人生あたってくだけて、なんぼだ〜』です。

私、実は結構な小心者です。だからいつもこの言葉を胸に刻んで、勇気を出すようにしています。長い人生、失敗してもたいしたことはない。それより失敗を恐れず、どんどん挑戦して、悔いを残さず生きたい。だから、何度くだけても、何度負けてもしぶとく立ち上がる人でありたい。しぶとく頑張りま〜す!


ありがとうございました。今年大学3年生、勝負の年。上には上がいる、それを意識してからどう這い上がって行くのか。気づき、目覚め。選手としての進化が問われる今シーズン。楽しみです